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静岡地方裁判所沼津支部 平成4年(ワ)172号 判決 1993年10月01日

主文

一  被告らは、連帯して、原告らに対し、それぞれ金三二六七万八七三九円及び各内金三〇六七万八七三九円に対する平成四年一月一一日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告らに対し、それぞれ金三三一七万八七三九円及び各内金三〇六七万八七三九円に対する平成四年一月一一日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生及び被害

左記の交通事故(以下「本件事故」という。)により、被害車両助手席に同乗中の訴外亡近藤知康(以下「訴外知康」という。)は脳幹出血、全身打撲により即死した。

(一) 発生日時 平成四年一月一一日午前四時五五分頃

(二) 発生場所 山梨県南都留郡河口湖町河口二四七六番地の二

(三) 加害車両 被告牧武史所有の普通乗用自動車

(四) 右運転者 被告山本賢二

(五) 被害車両 訴外山下健二運転の普通乗用自動車

(六) 事故態様 被告山本賢二が運転する加害車両が対向車線に進入し、対向車線を対向進行中の被害車両に正面衝突した。

2  責任原因

(一) 被告山本は、加害車両を運転走行中、加害車両を対向車線に進入させた過失により、対向車線を進行してきた被害車両に加害車両を正面衝突させたものであるから、民法七〇九条による損害賠償義務がある。

(二) 被告牧は、加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していたのであるから、自動車損害賠償保障法三条本文による損害賠償義務がある。

3  損害

(一) 逸失利益

訴外知康は、本件事故当時三二歳(昭和三四年三月一九日生)で、三島農協の職員として勤務し、平成三年一月一日から同年一二月三一日までの一年間に四〇五万二五六六円の収入を得ていた。

訴外知康は、本件事故で死亡しなかつたならば六七歳まで稼動可能であり、また、生活費控除割合は五〇パーセントとするのが相当である。

新ホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すると逸失利益は、四〇三五万七四七八円となる。

式 四、〇五二、五六六×(一-〇・五)×一九・九一七=四〇、三五七、四七八

原告らは、訴外知康の両親であり、右逸失利益の損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続した。

(二) 慰謝料

原告らは、訴外知康の両親であり、訴外知康の死亡による精神的苦痛を慰謝するにはそれぞれ一〇〇〇万円を下らない。

(三) 葬儀費

原告らは、訴外知康の死亡による葬儀費としてそれぞれ五〇万円ずつの支払いを余儀なくされた。

(四) 弁護士費用

原告らは、被告らが本件事故による損害賠償義務を履行しないため原告両名訴訟代理人に本件訴訟を依頼し、その弁護士費用として、各損害額の一〇パーセントに相当する二五〇万円を支払う約束をした。

4  よつて、原告らは、被告山本に対し民法七〇九条により、被告牧に対し自賠法三条本文により、連帯して、原告らに対し、それぞれ金三三一七万八七三九円及び各内金三〇六七万八七三九円に対する本件事故の日である平成四年一月一一日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告ら)

1 請求原因1、2(一)、3(三)は認める。

2 同3(一)、(四)は知らない。

3 同3(二)は争う。

(被告牧)

請求原因2(二)の事実中、被告牧が加害車両を所有していたことは認め、これを自己のために運行の用に供していたとの点は否認し、その余は争う。

二  抗弁

1  被告牧は、本件事故当時、加害車両に対していわゆる運行支配及び運行利益を有しなかつたから、自賠法三条本文の「自己のために自動車を運行の用に供する者」に該当しない。

2  被告牧は、被告山本とは同じ中学に通学していたことから、被告牧が中学三年の頃から二年間程遊び仲間のような関係にあつたが、その後疎遠になり、被告山本が引越ししたこともあつて数年前から本件事故まで、被告山本の連絡先すら知らなかつた。

3  被告牧は、平成三年一二月一〇日午後七時頃、被告山本から「急用があるので少しだけ車を貸して欲しい」と頼まれ、一旦断わつたが、被告山本が困つている様子だつたため、二時間で車を返還するという約束で、加害車両を無償で貸し渡した。

4  しかるに、被告山本は、右約束に反して加害車両を返還せず、平成三年一二月一二日夜になつて被告牧に電話してきた。被告牧はこの時、加害車両を同年三月に購入したばかりであること、被告山本は約束に反し三日間も連絡を入れなかつたことから強く返還を求め被告山本はすぐ戻ると返答した。

5  しかし、被告山本は、返還せず、二、三日後にまた被告牧に電話し、被告牧が返還を求めると同様の返答をするが、返還しないというやり取りが平成三年一二月二七日まで一〇回程繰り返された。被告牧は、被告山本への連絡先を知らなかつたため被告山本への連絡ができなかつた。被告牧は、被告山本が加害車両の返還要求に応じないことから、平成三年一二月二七日、被告牧宅そばの派出所の警察官に対し、知人に二時間の約束で貸したが、既に二週間以上も返還されていないことを説明して加害車両を探して欲しい旨申し入れた。

6  被告山本が、被告牧に最後に電話連絡をしたのは、平成四年一月四日の昼頃であつた。その後、被告山本から何の連絡もないため、被告牧は家族と話しあい、同月九日には、警察に被害届を出すことを決意した。

7  以上の如く、被告牧は、被告山本と昔の遊び友達という以外の何らの親密な関係はなく、二時間に限つて加害車両の使用を許諾したにもかかわらず、被告山本はこれを一か月もの間乗り回したもので被告牧は被告山本の連絡先すら知らず、一方的に連絡を受けてはその返還を要求することしかできなかつたのであつて、本件事故当時被告牧には加害車両に対していかなる支配もなく、また運行の利益もなかつたから、運行供用者にはあたらない。

三  抗弁に対する認否

1  抗弁1は争う。

2  同2は被告牧と被告山本が同じ中学校に通学していたことは認めその余は否認する。

被告山本が中学に入学して間もなく、当時、同中学の不良グループのリーダー格であつた被告牧と知り合い、同グループに入り親交を深めた。被告牧が中学を卒業しても商店街裏のタマリ場に集まつては毎日のように一緒に遊んでいた。被告山本は、中学卒業後、転居したがその後も月四、五回は単車に乗るなどして被告牧と遊んでいた。被告山本と被告牧のこのような交遊関係は被告山本が一八歳になる頃まで続き、その後も年四、五回は被告牧宅を訪ねて遊んでいた。

3  同3は認める。

4  同4の事実中、被告山本が、約束に反して加害車両を返還しなかつたこと、平成三年一二月一二日夜被告牧に電話してきたことは認め、その余は知らない。

被告山本が、返すのをもう少し待つてほしいと繰り返し頼んだところ、被告牧は「しようがねえなあ、用事を済ませたら早く返せよ頻繁に電話を入れろよ」と言つて貸すことを承諾した。

5  同5の事実中、被告山本が加害車両を返還しなかつたことは認めその余は知らない。

被告山本は、被告牧に対し、二〇回から二五回電話したが、そのつど居場所を連絡し、もう少し返すのを待つてほしい、何時何時までには必ず返すと言つて頼み、被告牧は、最初は「お前いい加減にしろ」とか「早く返せ」と言うが結局「間違いなく返せよ」「絶対だな」などと言つて加害車両を貸すことを承諾した。

6  同6の事実は否認ないし知らない。被告山本が被告牧に最後に電話したのは平成四年一月八日頃である。

被告山本は、もう少し貸してほしいと頼んだ。被告牧は「お前いい加減にしろよ」などと言つていたが、結局「間違いなく返すな。絶対だな」と言つて貸与を承諾した。

7  同7は争う。

第三証拠

証拠関係は書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから引用する。

理由

一  被告山本が、平成四年一月一一日午前四時五五分頃、被告牧所有の加害車両を運転し、山梨県南都留郡河口湖町河口二四七六番地の二付近の路上で、対向車線に進入し、対向車線を対向進行中の被害車両に加害車両を正面衝突させ、そのため被害車両助手席に同乗中の訴外知康に脳幹出血、全身打撲の傷害を負わせ、これにより同人を即死させたことは争いがない。

よつて、被告山本には、本件事故について民法七〇九条の不法行為に基づく損害賠償義務がある。

二  抗弁について

1  被告牧と被告山本が同じ中学に通学していたこと、被告牧は、平成三年一二月一〇日午後七時頃、被告山本から「急用があるので少しだけ車を貸して欲しい」と頼まれ、一旦断わつたが、被告山本が困つている様子だつたため、二時間で車を返還するという約束で、加害車両を無償で貸し渡したこと、しかし被告山本が、約束に反して加害車両を返還しなかつたこと、平成三年一二月一二日夜被告牧に電話してきたことは争いがなく認められる。

2  成立に争いのない甲三一号証、乙第一号証、丙第一号証、第二号証、第一〇号証ないし第一二号証、第一六号証、第一七号証及び被告山本賢二、被告牧武史の各本人尋問の結果(ただし、不採用部分は除く)並びに弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(一)  被告山本は、本件事故前、ビール瓶約三本分を飲んだ後運転し、運転中も五〇〇ミリリツトルの缶ビール三本を飲んでおり、また定員五人の加害車両に、遊び仲間と八人で乗車していた。本件事故は制限速度時速五〇キロメートルの片側一車線道路の下りカーブを時速約八〇キロメートルの速度で走行し、センターラインを越えて対向車線に進入し、対向車線を進行してきた被害車両と正面衝突したものであり、被告山本の単純な不注意から生じた事故ではなく、運転者としての基本的なモラルに欠けた無責任かつ無謀な運転態度が原因でいわば起こるべくして起きた事故であるといえる。

(二)  被告山本は、町田市立本町田中学校に入学して間もなく、当時、同中学の不良グループのリーダー格であつた被告牧と知り合い、同グループに入り被告牧の子分のように付き従うようになつた。被告山本は、被告牧が中学を卒業しても同人をリーダー格とする一二、三人のグループで毎日のように一緒に遊び中学卒業後は綾瀬市に転居したが、その後も月四、五回は単車に乗るなどして一緒に遊んでいた。被告山本と被告牧のこのような交遊関係は被告山本が一八歳になる頃まで続き、その間、同じ暴走族にも入つていた。その後、被告山本が結婚するなどしたため頻繁に会わなくなつたが、本件事故当時も年四、五回は被告牧宅を訪ねて遊んでいた。

被告山本は、盗んだ車を運転中カーブを曲がり切れず歩行者をひき逃げたことがありそのことなどで少年院に送致されたことがありそれ以外にも少年院に送致されたことがあつて、町田市内ではいわゆる不良仲間からも悪との評判であつて、被告牧はその事実を知つていた。

被告牧は、本件事故当時、定職につかず自宅でぶらぶらしていて加害車両は遊びに使うほか特段の使用目的というほどのものはなかつた。

(三)  被告山本は、平成三年一二月一〇日に被告牧から二時間の約束で加害車両を借りたものの返さず、無断でそのまま使用し続け、同月一二日になつて被告牧に電話し、被告山本が「返すのをもう少し待つてほしい」と繰り返し頼んだところ、被告牧は「しようがねえなあ、用事を済ませたら早く返せよ。頻繁に電話を入れろよ」と言い電話で居場所を知らせることを条件に貸すことを承諾した。

被告山本は、その後、被告牧に電話をして居場所を連絡し、「もう少し返すのを待つてほしい」「何時何時までには必ず返す」「先輩に付き合わされてる」と言つて頼み、被告牧は、最初「お前いい加減にしろ」とか「早く返せ」と言つてるものの、結局「間違いなく返せよ」「絶対だな」などと言つて加害車両を貸すことを承諾した。被告山本は、このような電話を、平成三年一二月二八日頃までの間に、少なくても一〇回以上被告牧にした。

平成三年一二月二八日頃、被告山本は、被告牧に電話をし、先輩と一緒ではないのに「先輩に付き合わされている。もう少し貸してほしい。一月四日には返す。」と頼んだところ、被告牧は「お前いい加減にしろよ」「すぐ返せ」とは言つたが、怖い先輩に付き合わされているのなら仕方ないという思いもあり、結局渋々ながら確実に返してくれるならいいと考え「間違いなく返すな」と言つて了解した。

その後、平成四年一月四日、被告山本は、被告牧に電話し、「松が取れるまで(一月八日)まで貸して欲しい」と頼んだところ、被告牧は「すぐ返せ」と言つたものの結局渋々ながら了解した。

被告山本は、平成四年一月八日頃、被告牧に電話し、「もう少し貸して欲しい」と頼んだが、同人から加害車両の返還を求められたため、「車を返す」と言つたものの再三約束を破つていることから直接は返しにくく、迷つているうちそのまま加害車両で遊び回り本件事故を起こした。

(四)  被告牧は、被告山本に加害車両を貸した平成三年一二月一〇日、被告山本と同伴していた三澤ゆりへの連絡先を知つており、同女をとおして被告山本に連絡することができた。しかし、被告牧は、加害車両を被告山本に使われている期間、被告山本に連絡をつけるべき積極的な行動はせず、平成三年一二月二八日過ぎに町田市内を車で走り被告山本を探したことのほかは被告山本からの連絡を待つ態度に終始していた。

また、被告牧は、被告山本から電話の際、特に強い態度で返還を求めるとか警察に盗難届を出すとか言つたことはなかつた。

3  被告牧は、被告山本と一八歳になつて以降は殆ど会わない旨の供述をしているが、前記丙第一〇号証ないし第一二号証によれば、被告山本は町田市でも「悪」として知られていることが認められ、同市には中学卒業、転勤後も相当程度来ていることが推定され、被告牧が被告山本を探して町田市内を車で走つたというのも同人が町田市に来て遊んでいる可能性が相当あると思つてのことと考えられ、そうすると、本件事故当時もかつて親しく遊んだ被告牧を訪ねることが年四、五回はあつたとの被告山本の供述が信用でき、被告牧の右供述は信用し難い。そして、そのように会う機会があつたのであるから、被告牧は、被告山本が少年院に送致された理由である「ひき逃げ事故」について「知らない」との供述も信用し難い。

また、被告牧は「今直ぐもつて来なければ警察に届ける、と強く言つたことがあるか」との質問に、「はい、あります」と答えているが信用できない。なぜなら、他方で、平成三年一二月二八日の電話の時には、その前に派出所に相談に行つていると供述しながら、警察に届けるとの話を被告山本にしていないと供述していることや、仮にも被告牧が「警察に届ける」と強く言えば、以前に処分歴のある被告山本は直ちに返還すると思われるから(後述のように被告山本が頻繁に電話していたのは、盗難届を恐れたものと推認できる。)である。

そして、被告牧は、被告山本が一二月二八日頃まで六回位しか電話連絡がなく、一月八日も電話連絡はなかつたと供述するが、丙第二号証では一〇回程と記載されていること、被告山本は以前車盗に関連して少年院に送致されていること、被告牧が以前から付き従つていた先輩であることからすると、平然と加害車両を乗り回していることは考えにくく怖い先輩に付き合わされているとかの虚偽の事実を告げることがあつても被告牧に頻繁に連絡し、被告牧の機嫌を決定的には損なわないように振る舞つていたと解されるから、被告牧の右供述も信用できない。

また、被告牧は、平成三年一二月二七日、近くの派出所に「貸した車を返してもらえないので見掛けたら知らせて欲しいと相談した」旨供述するが、翌日の被告山本からの電話の時にそのことを言わないのは不自然であるし、相談の内容や目的が不明確(事故の時知らせてほしいと言つたとも供述するが、事故の場合は登録番号で直分かるから届ける必要もないと思われる。)で信用し難い。

4  右認定の事実によれば、被告山本は、被告牧が許容している限り引き伸ばして加害車両を借りて遊ぼうと考え、二時間で返すと偽つて加害車両を借り受け、その後、借り受けた平成三年一二月一〇日から、同月二八日まで一〇回以上電話し、指示どおり平成四年一月四日と八日に電話し、遠くに居るとか先輩に付き合わされているとか種々言い訳をして「もう少し貸してほしい」と頼み込み、被告牧は苛立ちを感じつつも、以前から親しく付き従う後輩として付き合つてきたことから、ある程度は大目に見ようとの気持も働き、また、先輩に付き合わされているなら仕方がないとか考え、早く返すようには言いつつも指示どおり連絡を取つてくる以上はある程度やむをえないと考えて応対しているうち、ずるずると三週間が過ぎ、連絡の期間が開くようになり平成四年一月八日までは使用を認めたものの、同日には返還を求め被告山本も「返還する」と返事したが、結局返還しないうちに本件事故に至つたと解され、そうすると、少なくとも、平成四年一月八日までは被告山本の加害車両の運行が被告牧の意志に反するとはいえないと解される。

そして、被告山本には車の運転者として基本的なモラルに欠けた無責任かつ無謀な運転態度が著しいことを、被告山本と親しく、共に暴走族にも入り、被告山本のひき逃げ事件も知つているはずの被告牧は当然認識していたものと考えられる。そして、現実に、被告山本の右態度が本件事故を惹起したといえるのである。

5  ところで、自動車損害賠償保障法は、自動車という危険物が不可避的にもたらす損害について、自動車と一定の関係にあるものに責任を認め、その責任について原則的に事前に設定されている責任保険制度により分散する構造をもつものであることに鑑みると、自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視・監督すべき立場にある場合には、自動車損害賠償保障法三条の「自己のために自動車を運行の用に供する者」にあたると解するべきである(最高裁第三小昭和五〇年一一月二八日民集第二九巻第一〇号一八一八頁参照)。

6  そこで、本件をみると、被告牧は、加害車両を被告山本に貸すにあたり、被告山本の運転者としてのモラルや運転態度からすれば、加害車両の運行による危険をより慎重に認識し、約束の二時間を過ぎて返還せず三日後になつて連絡のあつた段階、さらに約束を履行しないで遠出している段階において、いよいよ加害車両による事故の危険が懸念されるのであるから、加害車両の所有者として、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視・監督すべき立場にあつた者といえよう。そして、前記のとおり、被告牧は、平成三年一二月二八日までは頻繁に、翌同四年一月八日までは間隔はあるものの被告山本と連絡が付いたのであり、被告山本に対して「被害届を出す」または「被害届を出した」と言つて強く返還を求めれば、被告山本が加害車両を返還した可能性は十分にあると考えられるから、加害車両の運行につき事実上支配、管理することができたものと評価できる。

そうすると、被告牧は、加害車両の運行について運行支配がなかつたとは言えないのであつて、抗弁は理由がない。

三  損害

成立に争いのない甲第一号証、第二号証及び原告近藤俊信本人尋問の結果によれば、訴外知康は、昭和三四年三月一九日に原告らの長男として出生し、将来跡を継ぐ予定であつたこと、名古屋商科大学商学部を卒業後、直ちに三島農業協同組合北上支所に勤め、その後一〇年勤務していること、健康でテニスクラブの役員をしていたこと、本件事故当時三二歳で、三島農協の職員として平成三年一月一日から同年一二月三一日までの一年間に四〇五万二五六六円の収入を得ていたことが認められる。

1  逸失利益

前記認定事実によれば、訴外知康の逸失利益は次の算式で求めるのが相当である。なお、訴外知康は、右事実によれば、本件事故で死亡しなかつたならば六七歳まで稼働可能であり、また、生活費控除割合は五〇パーセントとするのが相当である。

式 四、〇五二、五六六円×(一-〇・五)×一九・九一七=四〇、三五七、四七八円

(新ホフマン式計算法により中間利息を控除して計算)

よつて、逸失利益は四〇三五万七四七八円となる。

原告らは、訴外知康の両親であり、右逸失利益の損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続したから、各人の相続した逸失利益分の損害金は二〇一七万八七三九円である。

2  慰謝料

前記認定のとおり原告らは、訴外知康の両親であり、長男訴外知康の死亡による精神的苦痛を慰謝するにはそれぞれ一〇〇〇万円を下らない。

3  葬儀費

原告らが、訴外知康の死亡による葬儀費としてそれぞれ五〇万円ずつの支払いを余儀なくされたことは争いなく、右金額は訴外知康の死亡と相当因果関係ある葬儀費と認められる。

4  弁護士費用

本件事案、認容額、審理の難易、期間等に照らせば、本件事故と相当因果関係ある本件訴訟の弁護士費用としては、各人につき二〇〇万円が相当である。

四  結論

以上によれば、原告らの請求は、それぞれ金三二六七万八七三九円及び各内金三〇六七万八七三九円に対する平成四年一月一一日から支払い済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を、仮執行宣言につき一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋光雄)

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